≪ 自己紹介&privacy policy ≫

はじめまして。本ブログを開設しましたRyoと申します。
先ずプライバシーポリシーについては、こちらに記載しています。

ご存じの方も多いと思いますが、自恃ろぐの「自恃」は「自分自身を恃み(たのみ)とする
こと」の意味で、今までもこれからも自分を信じて出来ることを頑張りつつ、出来たことを
このブログで何かのお役にたてるように発信していきた・・・

って書ければ立派なのですが、実際は子供に「じじ(い)ブログ」で良いんじゃない?
と言われ、さすがにそこまで年取ってないしなぁと考えたものの意見を尊重して、
じじ ⇒ ZZ ⇒ JJ ⇒ JZ ⇒・・・と考えた挙句、漢字の「自恃」に行き着いた訳です。

良い意味を持つ漢字なだけに使う以上、しっかりやっていければと思っております。

先ずは簡単に私のステータスをご紹介させていただきますと。。。

「家族構成」既婚、子供二人の4人家族+愛猫♂1

「住所」福島県在住

「仕事」中小企業製造メーカー勤務の生産技術職&PC管理者

「趣味」読書(綾辻 行人先生)、音楽鑑賞(Skillet)、PC弄り等々…

「特技」仕事で必死に覚えたVBAと韓国語

という感じですので、至ってスタンダードサラリーマンでございます。
仕事に対しては今も昔も「楽したいサボりたい、でも結果はそれなりに」のスタンスです。
本当にサボったら問題ありますから、仕事自体で楽する為にどうするか?という観点で
やってきたこと等をこのブログで紹介できればと思ってます。

その他には「人対人」の失敗ばかりしてきた教訓からの対人関係持論や会社勤め雑感、
オフラインモードでは楽しく過ごす!をテーマとして書いていきますので、
公私ごちゃ混ぜの「公私混合」で行きたいと思っています。

これから以下に記載してますのは、私の経歴というか落ち着かない半生を綴ってますので
よろしければご一読くださいませ。

◆転職2回・転勤5回・・・最近は落ち着いたかな?

1.暗黒(ブラック)企業時代・・・製造課技術員

この頃を思い出してみますと、「嫌な思い出:7割」「良い思い出3割」というとこですね。
私は家庭の事情もあり高卒で就職することが必須だったのですが、当時はバブル期
(終焉間際)なので今では考えられない「 応募者 >>> 会社 」の構図です。

そんな恵まれた時代なので、高卒でも選択肢は幅広くあった訳です。。。
しかし!恵まれた環境を見事に生かせず、これから没落してく企業を選んでしまったのは、
「何となく」で就職先を決めたからなので、正に自業自得。。。

そして、この会社の考え方は以下の通りです。
「仕事は教えてもらうもんじゃない。見て覚えろ!」・・・(教えるの面倒くさい)
「定時?仕事が終わった時間が定時だろ?」・・・(時間無制限)
「残業代?能力無いから残業になるんだろ?」・・・(サービス残業が美徳)

勤務状態はこんな感じでしたね。

  • 始業8時、帰りは早くて21時、通常で23時、遅い時は26時~徹夜。
  • 設備搬入や移動、改造工事が頻繁で大型連休はほぼ出勤(休めても1日程度)。
  • 出張は基本社有車で日帰り前提、朝4時出発~帰り24時過ぎは普通のこと。
  • 夜中朝方呼び出し当たり前(携帯なんて無い時代⇒迎えに来てくれる!)

今思うとよく体壊さなかったなぁって思いますね。若さってやつかな?
当時は「顔色の悪さ」「体調不良」自慢になる(笑)
そして「パワハラやモラハラなんて言葉が無い」時代 ⇒ 日常で普通のこと。

労働環境は極めて劣悪でしたが、これでも当時は一部上場企業ですからね。
おかげさまで私自身の忍耐力と耐久性能、そして製品の生産プロセスは身をもって
経験しましたので、生産技術の基礎部分をかなり学ばせてもらったと思います。

後はここに入社したおかげで現在の妻と出会ってますから、そこが最大の良かった点(笑)

この会社では神奈川(本社工場)⇒神奈川(別工場)⇒福島工場⇒群馬工場⇒福島工場と
転勤3回、計10年間働いた訳ですが、10年経過する頃は依存してた大口顧客1社に見限られ、
業績が著しく低下してきたこともあり、私も見限らせていただきました。
一言だけ言いたいのは「10年分の残業代払え!」

2.怒涛の転勤ラッシュ時代・・・技術員、他いろいろ。。。

この頃世の中では「ITバブル」でしたね。
私もその流れに乗っかり、当時好況な会社に無事転職出来たのです。
与えられた仕事は当然ながら生産技術職で「おし!心機一転頑張るぞと!」と思い、
製品知識や生産プロセスの把握に勤しむこと3ヶ月。。。すると、

「ITバブル」が見事に弾け飛ぶ!

当然顧客も今まで購入した製品が山積みですから、売れませんし注残分引き取りも渋る。
会社も生産量激減(▼80%)、その上バブルで調子に乗って増員増設増築と後先考えずに
実施してきたので、人員削減(▼50%)すると言い出す始末。。。

もうね。。。その時の心境を表現すると、こんな感じですよ。。。

前の会社も辞める頃に希望退職募集したりしてたのに、ここでもか!って思いましたね。
こりゃあ私のような新参者はすぐに切られちゃうかと覚悟してたのですが、目先の退職金に
釣られて「会社の希望数を遥かに上回る退職希望者達!」会社が逆に困るっていうね(笑)

そんなこんなで私は会社に残ることを選んだわけですが、従業員は当時500名から200名前後まで減り、新設した工場は閉鎖となって改めてこれからスタートしましょう!となったものの、まさかここから「地獄の転勤ロード」を歩むことになるとは。。。

【転勤その1】・・・へ?え、営業?自分がですか?

入社して5ヶ月経過した頃、上司に呼ばれ言われた時の第一声。
何の話かと思えば「会社低迷」⇒「売上上げなきゃ」⇒「顧客開拓しなきゃ」
⇒「そうだ!営業にいこう!」という安直極まりないな発想の基に人選されたのが
私だったらしいです。

理由は確か・・・「何となく出来そうだから」とか言ってましたね。

入社して間もないこともあり、妻に申し訳ないと思いながら転勤を承諾して東京に転居。
親会社の営業部門に出向する形でしたが、もちろん営業経験なんてありませんから、
営業部門の強者達にこっぴどく叱られながら働きました。

そりゃそうですよね、入社して間もない訳でろくに製品知識無いんですから!
気分は転職先から更に転職した感じです。

世の中に楽な仕事なんてないって頭では理解してるつもりでも、やってみると営業の仕事って
「すごく大変」で、何が大変かというと「安々と信頼と注文はいただけない」ってことです。
そして客先の希望や要求を必ずしも工場が対応してくれるとは限らない。。。

客先の希望を全て受け入れれば受注出来ますけど、それじゃ誰にでも出来ることですからね。
如何に高く売れるかを考え、競合他社売価や市場価格を踏まえつつ、自社ならではの付加価値を提案して見積り提示額に納得いただける様にプレゼンし、且つ工場にも客先の採用見込みや量産時の数量見込み、発展性等を説明して協力してもらう。。。ほんと大変でした。

普通のことでしょうけど、それまで経験のない私にとってはこの上なく難しく感じましたね。
そして営業部門で1年が経過し、徐々に慣れ始めて来た頃に待っていた罠・・・

【転勤その2】・・・ちょっと九州行ってくれる?

軽い感じで言われた一言。
その頃、九州工場から福島工場に一部の生産ラインを移管する計画がありまして
私も話は聞いていたのですが、「へー」ぐらいにしか思ってませんでしたね。
それがまさか当事者になるとは微塵も思ってなかったです。

確か「移管の計画で九州工場の関連部門と打ち合わせ」名目だったはずが、
現地に到着して話を聞いたら

「生産管理部門の引継ぎ担当と聞いてるので、よろしくお願いします。」

 私「???・・・いや、打ち合わせに参加しろとしか聞いてないのですが・・・」

「当人に話してないのか!ひどいな(怒)」

 私「あの・・・一体どのようなお話に・・・」

「1年後に移管する製品の生産管理引継ぎとして、ここで勤務すると聞いている。
ただ、営業も兼務なので東京-九州間を行き来することを認める前提でね。」

 私「・・・(絶句)」

「こちらでの住居は総務から説明あるからね。」等々。。。

これは辞めろってことか?と思いましたね。
もちろん所属元の会社に一体どういうことかと理由を聞きましたが、帰ってきた答えは

「九州と福島、そして営業と全てに面識あるのは君だけだから」

当時の九州工場と福島工場は相当関係が悪かったことが一番の理由という(怒)
確かに九州の部門担当の方々からは「お前の頼みなら聞くよ」と言ってくれることが
多く嬉しかったのですが、まさかここまでとは。。。

本当に妻には申し訳ないと思いながら事情を説明して、東京-九州を行き来する
日々が始まりました。
この時に辞めずに続けたのは、私を信頼してくれる営業部門や九州部門の方々の
存在が大きかったことと、負けず嫌いの性分ですね。

営業と生産管理を兼務ということは、即ち「私が発注した案件」を「私が処理して工場調整、
納期回答、出荷処理等行う」ってことなので、ある意味効率的でもありましたが正直
「やりにくい」です。
でもおかげで製品データベース、生産計画の考え方、工場での調整手法等を学ばせて
もらえたのは大きい収穫でした。

勤務は基本的に月~木曜日は九州、金~日曜日を東京で過ごす形にしてましたが、
当然出張ありますから実際「殆ど東京には戻れなかった」一年でした。

【転勤その3】・・・君の技術力を生かす時だよ!神奈川行ってね。

当時の総務部長にとびきりの笑顔で言われた一言。

九州-東京を行き来しながら生産管理業務を引き継ぐこと一年。
どうにか無事に九州から福島へ生産ラインを移管し、私は営業兼務の福島工場生産管理として
福島-東京を行き来していたものの、福島工場に近いうちに服属する予定でした。

時を同じくして、業績を巻き返すべく新商品開発が進められており神奈川にある開発部門から
「開発業務支援と工場への移管を目的として1名欲しい」というお話があったようです。
当時私は営業&生産管理ですから「対象外」ですよね?普通は。

移管して2ヶ月経過した頃に「開発部門へ行って欲しい」と言われましたね。
これまでの経緯考えれば普通にそんな事が言えるのか?人は物じゃないんだぞ?と
流石に憤りを感じましたが、理由を尋ねてみると

  • 「東京から神奈川に転居する方が近いから」⇒・・・(呆)
  • 「君の技術力を評価しているんだよ!」⇒この会社で殆ど技術の仕事してないけど?
  • 「技術のみんなも君なら安心と言っている」⇒大嘘(誰も言ってない)

要するに、これまで転々としてるので動かしやすいってことだけのようでしたね。
これは・・・もう辞めようかなとも思いましたが、また踏み止まったのは開発部門の
仕事に興味があった事と開発品を工場に展開した際に第一人者になれますので、
そうなれば流石に落ち着けるだろうと思いましたので、また移動することに。

いや、でも本音は「こいつら絶対に許さん。いつか必ず仕返す」ってとこです(笑)

そんな訳で生産管理業務と営業業務をそれぞれ引継ぎ、バタバタと神奈川県に転居。
開発部門には3年間在籍して、与えられた開発テーマにひたすら没頭して実験を
繰り返し、適正な設計値決め製造条件を整理して工程設計案を作成し、着々と
工場移管準備を進めるのでした。

それと、開発部門にいた頃に思いましたがみんな頭良すぎて何か変と言うか、
変わってる人が多かったですね。

実験しながら地団駄踏む人とか、作業机叩きながら吠えまくる人とか、コンセント
空きがないと平気で他の人の抜いちゃう人とか、発言の99%が嫌味な人とか。。。

ほんとこの会社大丈夫?って思いましたよ。

【転勤その4】・・・福島工場復帰!ここまで5年かかったよ。。。

5年かけてようやく入社した会社に戻り、ここからの5年は破竹の勢いで昇進していく黄金期!

開発品を無事工場に移管し落ち着いた頃に主任に昇進。
度重なる転勤の労いってことかもしれませんが、普通に嬉しかったですね。
その後は生産技術業務に邁進する訳ですが、先ず取り組んだのはコスト改革!

当時周りは変なプライドがあって、自社の品質に見合うのは国内メーカーでしか作れない!
と豪語しており、異常に高い価格で部品調達するので採算性がまるでダメ。
利益出ないのは営業が安売りするからだ!と本気で言う人達ですからね。。。

そこで私は調達部門と一緒に海外調達プランを作成して、出来そうな海外メーカーと
二人三脚で約1年かけて国内メーカーを上回る品質で且つコスト半減させました。
この時、1年の内半分は海外メーカー(韓国)に行ってた感じですね。

この成果で生産技術係が新設されて、係長に昇進。
後の4年は社内のアナログすぎるシステムをVBA等で効率化したり、手作業全開の工程を
設備設計屋さんと一緒に自動化を図ったり、中国メーカーへOEMしたりして飛躍的に
商品利益を改善してました。(VBAはこの頃に覚えましたね)

戻ってから5年後には生産技術課長に昇進。
私自身もかなり勢いに乗って、このまま邁進するぞ!と楽しくて仕方ない時期でした。
このまま順風満帆な人生送れそうだなぁって思ってたのに。。。地震が。。。

【転勤その5】・・・こいつらだろ?難民って。

茨城工場の用意してくれた借り上げの寮から出勤する時に、すれ違った中学生たちの一言。

2011年3月の東日本大震災で原発の避難区域内にあった工場に立ち入れなくなり、
急遽グループ会社の茨城工場の一部を間借りして一から立上げ直す羽目に。。。
私の住居は避難区域外なので立ち入りは問題無い為、家族を残して単身茨城に。

皆で協力して2ヶ月後にはどうにか生産水準を同等まで復旧させ、一先ず落ち着く。
会社からは2年を目途に福島へ戻ることを「約束する」と言っていましたので、
ここで2年間は頑張って働いてました。

住居周辺の方々からはよく思われてなかったかもしれませんが、周りの茨城の人達は
本当に暖かい人達ばかりで、とても助けてもらいました。
今でも感謝してます。

そして2年経過した後、会社からの通達は

「福島工場は閉鎖し戻らないので、嫌な人は会社都合にしてやるから辞めてね。」

原発のリスクとか色々考えたうえでの会社としての決定だろうとは思いますよ。
ただ、2年引っ張っておいてこの通達は酷い。。。

私には九州工場へ転勤の打診もあったことや、会社に対する不信感、そして家族のことを
考え退職し福島に戻ることを決めました。

もちろん、退職日までに次の就職先の内定いただいてましたけどね。

3.新たな会社へ・・・そして現在

そして3社目となる新たな会社に入社。
以前の勤務先で管理職だったこともあり、管理職待遇で迎えてくれました。
正直、今まで築き上げてきたものを捨ててまた一からというのはきついですね。

与えられた仕事は技術開発職ですが、規模が小さいので何でもやりますやらされます(笑)
ここもまた古き良き?時代を踏襲した完全アナログモード&手作業軍団なので、
やれることがたくさんあって、日々改善に勤しんでます。

会社はこれまでの一部上場企業とは違い、社長の一存で全てが決まりますから、
まさに一族経営という感じで長所・短所ありますが、その辺りの詳細はいずれ
「会社勤め雑感」で書いていきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
私のこれまでの経験や知識を生かして少しでもお役にたてる情報を発信していければと
思っておりますので、どうぞ宜しくお願い致します!

Ryo

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